温羅が人々を茹でた釜?
総社市黒尾にある鬼ノ城へ向かう山道の途中、大きな鉄の釜が突如として現れます。
鬼ノ城に住んでいた温羅が使用していたという伝説が残っており、「鬼の釜」という名で呼ばれています。
近くでみると直径が1.8m、深さが1.4m、鋳型で作られたもので、人ひとりがすっぽりと入ってしまうサイズです。
言い伝えによると、これは温羅が村からさらってきた人間の中で、気に入らない者をこの釜で茹でて喰ってしまったというのです。
江戸時代のサウナスポット説
しかし、本当のところは江戸時代の鋳物師が製作したものではないかと推測されているそうです。
鬼ノ城ビジターセンターのスタッフさんに伺うと、当時からこの付近は山岳寺院があり、観音様が連なるパワースポットとして知られていました。そして、この山道をお参りして歩くと目や歯や腹など体の不調が治るという云われから、遠方からの参拝客が絶えなかったとのこと。
当時、寺院の付近に湯屋を建設したり、湯釜を設置することがよくありました。
そのため、鬼の釜も山道に入る前のお清めとして、訪れた人々が体を洗う「湯あみ」の場として活用されていた節が有力だそうです。現代でいうスパやサウナのような感覚ですね。
阿曽村で取れた鉄で作られた、との言い伝え
この釜の原料となった鉄は、地元の総社にある「阿曽村」で採れたものと言われています。
「阿曽」といえば、温羅の妻とされた「阿曽媛(あそひめ)」を想起させます。温羅は吉備国の長の娘を妻として迎え入れ、吉備国を反映させたという伝説で有名です。
この釜の見た目や阿曽のストーリーがいつしか融合し、温羅が人々を茹でたという云われに変貌していったのでしょうか。
近くで見てみると、鋳造痕がはっきりと刻まれているのが判ります。
日本遺産「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~にも登場しています。
現在は、工芸・考古の分野で重要な資料となっているそうです。
鬼ノ城へ至る道は、細い1本道。
曲道をやっとの思いで抜けたころ、目の前に突然現れる大きな釜を見つけたら、ぜひ立ち寄ってみてください。